堺の百舌鳥古墳群 Ⅰ

私が気になる古墳について、紹介します

大阪府の堺市には、古市古墳群と並んで我が国を代表する百舌鳥古墳群があります。
『日本書紀』に記された伝承によると、その昔、この地で古墳の工事中に飛びこんできた鹿の耳から、
百舌鳥が飛び立ったことからこの地を百舌鳥耳原(もずみみはら)と名づけたそうです。

百舌鳥古墳群は、堺の旧市街地の東南方向に位置し、東西・南北とも約4kmのほぼ正方形の区画に、
かつては94基の古墳が存在したと言われています。

第二次大戦後に宅地開発が急速に進んだため、現在は残念なことにその半数近くがすでに
失われてしまい、現存する古墳は半壊のものも含めて48基のみだそうです。。

本古墳群の中でも、墳長100m以上の代表的な古墳群は、いずれも前方後円墳です。

・大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)
・上石津ミサンザイ古墳(伝履中天皇陵)
・土師ニサンザイ古墳
・御廟山古墳
・大塚山古墳
・乳岡古墳
・田出井山古墳(伝反正天皇陵)
・いたすけ古墳
・永山古墳
・長塚古墳

百舌鳥古墳群は、4世紀末頃に乳岡古墳が築造され、次に履中陵古墳と大塚山古墳、仁徳陵古墳・御廟山古墳・いたすけ古墳、
そして反正陵古墳・土師ニサンザイ古墳の順に、5世紀末頃までに築かれた、古墳時代中期のものと考えられています。

ここで使われた埴輪を焼く窯のひとつが御廟山古墳の南東、百舌鳥川左岸にあります。
百舌鳥梅町の窯跡で5世紀中頃の築造と考えられ、いまのところ百舌鳥古墳群で発見されている唯一の埴輪窯です。

仁徳天皇陵(大仙古墳)は、墳長およそ486m・前方部の幅305m・高さ約33mです。
日本第1位の規模を誇る超巨大前方後円墳であり、エジプトのクフ王のピラミットや中国の始皇帝陵と並んで、「世界の三大古墳」に数えられています(!)
大仙古墳を造るには、毎日約2,000人の人々が働いて、15年以上はかかったという。
まさに権力の象徴的存在なのです。
叉墳丘の周りには水を湛えた濠が三重に巡り、大仙の名にふさわしい、
神秘的な悠久の仙山として、地元では大仙陵と呼ばれてきました。

ところで世界最大規模である第16代仁徳天皇陵は、出土物から5世紀中葉~末ごろの可能性が高いと言われています。
しかし仁徳天皇(在位:313~399年)は4世紀中頃の人物である為、仁徳天皇陵でないことになります。
現在は、大仙古墳の出土物等から、この時期に大和朝廷を統一国家として治世した第21代の「雄略天皇陵」である可能性が高いと言われています。
いずれにしても、頑迷に発掘調査を拒否している宮内庁の方針が変わらない限り、ことの矛盾は今後とも延々と続きます。