百舌鳥の古墳群 Ⅱ

ただひたすらに古墳を紹介します(続き)

履中天皇陵は、百舌鳥古墳群の南部に位置する前方後円墳です。
全長約360m・後円部径205m・高さ約25m・前方部幅約237m・高さ約23mで、日本で3番目の大きさをほこります。

履中天皇(在位:400~405年)は、仁徳天皇よりも後の時代の人物とされていますが、
考古学の発掘成果から、履中陵・上石津ミサンザイ古墳は大仙陵古墳よりも古い時代に造築されたと考えられています。

土師ニサンザイ古墳は、百舌鳥古墳群の南東の端に位置しています。
墳丘は3段構築で全長は約290m・後円部径は約156m・高さ約24m・前方部幅は約226m・高さ約22.5mで、
前方部を西に向けており左右に造り出しがあります。
全国で8番目の大きさで、現在の周濠は一重だが、二重目の濠が一部確認されているそうです。

土師ニサンザイ古墳は、宮内庁が陵墓参考地に指定されているものの、天皇は埋葬されていないとされてます。
5世紀後半の築造と考えられており、百舌鳥古墳群の大型古墳の中では最も時代が新しいものです。
本格的な百舌鳥古墳形成は、古市古墳群にやや遅れて開始され、立地条件も古市古墳群とは異なっています。

土師ニサンザイ古墳(通称=ニサンザイ古墳)は、堺市北区百舌鳥西之町、百舌鳥古墳群の南東端にあり、仁徳陵・履中陵共前方部が南西向きに対して、前方部を西に向けた大型前方後円墳で、全長約290mの雄大な墳丘を周濠に浮かべた姿は、さながら巨大戦艦。

百舌鳥古墳群の大型前方後円墳の中では最も新しく、5世紀後半に築造されました。

前方部の向きの違いの意義はハッキリしませんが、百舌鳥古墳群で西向きは土師ニサンザイ古墳のほか、
長塚古墳・大塚山古墳・いたすけ古墳・御廟山古墳・尼塚古墳などがあります。
南西向きの大仙古墳や上石津ミサンザイ古墳などの被葬者が天皇に対して、
西向きは天皇陵ではないグループかもしれないと云ういますがその真相やいかに。

土師ニサンザイ古墳は、全長約290mの巨艦のような大型前方後円墳にもかかわらず、
宮内庁による大王墓に指定されていません。
そのため陵墓参考地扱いとなり、拝所も設けられず、民家や市民公園が隣接したままの情況となっています。